2010/02/11

どこかで聞いた話を

THOMAS BROWN'S VALENTINES DAY STORY
トーマス・ブラウンのバレンタイン・ストーリー
by PAUL BENJAMIN
 
ポール・ベンジャミン


私は焦っていた。2月14日のデイリー・ジャーナル紙に寄せるための原稿がまったく仕上がらないのだ。締め切りまではあと3日。やっとの思いで回ってきた仕事だけれど、書こうと思っても手が付かない。思い浮かばない。誰かバレンタイン・デーにまつわるストーリーを持っている人間はいないだろうか。誰かから話を聞いて、原稿を書くヒントにでもなればいい。
そこで、友人であるトーマスのもとを私は訪ねた。小さなレコード店を経営している彼のもとには少ないながらもさまざまな客が来るし、話をするのも話を聞くのも好きな彼なら何か良い話を知っていると思ったのだ。いつも足繁く通っている店。煮詰まっている私の気分転換という意味合いもあった。
誰のどんな話でもいいから何か知らないか?と聞いたらすぐさま彼は答えた。
「知っているよ。どんな話だってある。オレの話でもいいかい?
 昼メシをおごってくれたら話をするよ」
オーケー、じゃあ行こう。私たちはそのまま近くのコーヒーショップへと場所を移した。



2002年だから今からもう8年も前の話だ。
オレはその頃ドイツのケルンという街にあるレストランで働いていた。朝の10時から夜の12時までびっちりさ。けれどそのレストランでは午後の2時から3時間だけ中休みを取る。疲れているのでアパートまで帰って寝ていたいところだけど、せっかく外国に来ていることだし、その3時間は毎日あてもなく街をぶらぶらと歩くようにしていたんだ。
ケルンというところはモダンアートが盛んな街で、1ブロックにひとつと言ってもいいほど数多くのギャラリーが点在していた。中に入るまではしなかったけど、ショーウィンドウ越しに覗くだけでも楽しかったよ。本屋もたくさんあって、その中でもやっぱり美術書を抱える店が多かった。際立って若者が多い街というわけでもなかったから、老若男女、街の人たちみんながアートに興味があって、アートに寛容だった。そんな街だったから、アンティーク、骨とう品屋もまた多かった。
そしてその中に、その骨とう品屋はあった。

この地方特有の、曇りの天気が毎日続く2月の中でも珍しく良く晴れた日だった。
いつものように午後の2時でひとまず仕事が終わり、オレはそのままカメラ屋に向かった。街で撮りためた写真を現像してもらうためだ。仕上がりに1時間ほどかかると言われ、またいつものように街を歩いた。
オレはアンティークには興味がなかったんだ。けれど街を歩いていて気になる骨とう品屋が1軒だけあった。売る気があるんだかないんだか、店はいつも薄暗く、人の居る気配もない。そんな店先に、ビーズのような、茶色や黒、白、そして鮮やかな水色の石を並べて紡いであるネックレスがあった。
いつも気に掛けながらも素通りしていたが、写真の現像の待ち時間を潰そうと、オレはその店に入った。

ハロー?
と言ってしばらく経ったあとにダウンライトなどの照明がいくつか点いて、高齢だけども背の高い紳士がカウンターの奥からのそのそと姿を見せた。「何かお探しですか?」と。入り口近くを指差し、あのネックレスが見たいんですがと言うと、ディスプレイしていたフックから外して両手でそのネックレスを手渡してくれた。老紳士曰く、紀元前1200年から800年の辺りに作られた、アッシリアというメソポタミア文明のときの古代王国のものらしい。
手に取ってじっくりと見ていると、このネックレスをどうしても手に入れたいという気になった。値札を見ると90ユーロ。かなり値が張るけど、ドイツで手に入れたものをずっと身に付けていたいという想いに駆られたんだ。
これ買います!勢いよくそう言うと、老紳士は笑顔で「80ユーロでいいよ」と言った。

けれど財布の中を見てみると、75ユーロしか入っていない。さらに値引きしてもらう気などさらさらなかった。すみません、今75ユーロしかないんです。申し訳なくそう告げ75ユーロを財布に戻そうとすると、「ノープロブレム。いつでもいいから残りの5ユーロを持っておいで」とお金を受け取りネックレスを渡してくれた。
30分後に必ず来ます!「いやいや、今日じゃなくてもいい。いつでもいいんだ」と見ず知らずの異国人を信じて疑わない。なんだかその気持ちが嬉しかった。彼にしてみれば5ユーロくらい戻ってこなくても別に良かったのかもしれないが、返さないわけにはいかなかった。

アパートまで急いで戻ったが、お金がしまってある引き出しの中には100ユーロ札しかなかった。何かを買ってお釣りの中から5ユーロを彼に返そう。そう考えたときに、カメラ屋に現像に出していたフィルムのことを思い出したんだ。ちょうど現像に出してから1時間ほど経った頃。写真は仕上がっているはずだ。
カメラ屋に行き、計画通りに100ユーロ札で支払いお釣りを受け取る。急いであの骨とう品屋に向かわなければ。そう思ってカメラ屋から出ようとすると、店員の女性に呼び止められた。女性の手にはバラの花一輪。オレに向かって差し出してくる。なぜオレに?そう聞く前にオレの顔がすでに訊ねていたのだろう。あら、知らなかったの?とでも言うように、彼女はオレにそれを受け取るように促した。
「今日はバレンタイン・デーですよ」

カメラ屋からもらったバラの花はとても長く、
街を行く人々がみんな振り返り微笑むほどだった。「どこの娘にそれを持っていくんだ?」と聴こえそうな気もしたが、隠そうにも隠せないほど長い。花なんかに縁がなかったから持って歩くだけで恥ずかしい。どうしたもんだろうこれは。しかしまずやることがある。骨とう品屋に5ユーロを持っていくのが先だ。

ハロー?
そういうとまたさっきと同じように照明が点き、奥の部屋から老紳士がゆっくりと姿を見せる。5ユーロ札を右手に持ち、彼に手渡し礼を告げたが、左手をうしろに回し背中で隠すように持っていた隠しきれていないバラの花に彼の視線が移っていた。もう、しょうがない。バラの花を彼の前に派手に差し出し、カメラ屋の女性と同じセリフ、受け売りのドイツ語でオレはこう言ったんだ。
今日はバレンタイン・デーですよ、と。



トーマスが語ったバレンタイン・ストーリー。

偶然が呼んだ、物語の結末はこう締め括られる。
その行為に骨とう品屋の店主はとても喜び、奥にある自分の住まいに彼を招き入れたそうだ。ワインを飲めない彼にアップルジュースを出し、二人で乾杯をした。部屋の壁一面にびっしりと飾ってあった店主の旅行先での写真を見ながら、たくさんの話をした。そして最後に彼はこの写真を撮って、また会いましょうと言って別れた。

ドイツではバレンタイン・デーにバラの花を贈る風習があるという話など私は聞いたこともないし、調べてもいない。だが2002年の2月14日、あの日以来、彼の中でバレンタイン・デーとは、誰かに一輪のバラの花を贈る日になった。




 
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